江戸時代の旅人道 -裏街道のにぎやかさ-
秋山 凜
埼玉県
明治大学付属中野八王子中学校
中学校3年生
全体説明
神社や寺などの奥まったところへ一歩足を踏み入れると、太く大きくそびえ立つ大木が広がっていた。青梅旧街道沿いやその脇道には注意して見ないと分からない程小さいけれど華蓮な花が咲いていた。
杉や桧といった大木は何百年も前からそこに植えられていたという。真っすぐ太陽に向かってゆるまず伸び続けている姿に元気をもらえた気がした。また大木に囲まれた道は真夏なのに涼しく新鮮な気持ちになった。
この青梅街道は五街道のひとつ、甲州街道の裏街道だという。私たち人間が利用し、発展してきたのは表街道だろう。しかし植物たちにとって大きくその力を出し切っているのは裏街道のように思えた。今はこの街道を車に乗って植物には目もくれない人がほとんどだろう。しかし、一歩一歩踏みしめて歩いていた昔の人々はこの草花になごまされてきたのだろうと思う。
観察ポイントごとの説明
① スタートしてすぐ脇道に入るとコスモスや月見草等の花びらがきれいな花があった。同じ黄色でもその花から受ける印象は異なっていた。花がきれいな分、虫も多くいた。葉に注意して見てみると細いものや太いもの。濃い色や日に焼けているものもあった。この暑さに植物たちもうろたえているようだった。
② 桃畑の中に赤い箱のようなものと太陽光パネルが目についた。これは獣よけの為の自然エネルギーを利用した電動柵だといった。足元に咲いていたツユクサは蝶のように2枚の青い花がきれいだった。ここの竹林はイメージしている緑の濃い色ではなくなってしまっていて、猛暑によって変色してしまったのか黄色になっていた。しかし竹に付いている葉はとても多く驚いた。
③ 上条集落は急な坂道になっていて祖母の住んでいるところが一望できた。この集落は都会のように家が密集することなく、のびのびと山に囲まれていて落ちつく空間だった。集落の中でも一番上の家からは富士山の頭が少しだけ見えるらしい。プラムやなし、桃といった実になっている時の果物の様子をよく観察することができた。
④ 金井加里神社に行く途中には果樹畑が広がっていた。その脇にはワラビ等の緑の草がおいしげっていた。緑は強い太陽の光を照り返していた。またひめじおんの形はヒマワリのようで少しピンクがかった色の花が細く咲いていた。
⑤ 浜松神社は鎌倉時代初めに安田義定が創建したという。神社を覆い隠すかのように杉と桧が一本ずつ立っていた。二つの木が並んでいるのでその違いがはっきり見てとれた。杉はたてに細くとんがった三角形の形をしていた。一方桧は杉よりも低く丸みを帯びた三角形を成していた。百年以上経っているであろう二つの大本はとても立派だった。
⑥ ここには人や物資の出入りを取り締まる昔の小規模な関所を復元されていた。温泉があり植え込みには夏の植物が整備されていた。その中にネムノキというめずらしい植物を見つけた。ピンクで糸のような花びらだと思ったものはおしべだそうだ。花弁は下の方にちょこんとあって目立たなかった。またこれは甘い香りがした。
⑦ 霊峰寺までの参道の両脇には杉の林が続いていた。杉は百年以上経っているようで1つ1つ高く並べられていた。沢山の杉に囲まれ道は涼しく気持ちの良いものだった。道に沿って観音様が沢山並んでいて、その道をつくっている石にはコケがビッしりとついていた。涼しくて杉が大量にあり、近くには川もあるこの場所はコケにとってとても環境の良い所だろうと思う。
まためずらしくカラカサタケに似たキノコを見ることができた。からすびしゃくは強い茎の先端に緑の実が集まっていて他に見ない面白い形をしていた。山門の階段の手前には「不許葷酒入門」と刻まれていた。昔のこの寺の厳格さがうかがえた。
⑧ 百九十八段の階段を登りきると、山梨県の天然記念物に指定されている樹齢七百年以上のエドヒガン桜が見事に立たずんでいた。サクラはとても木が太く幹が曲がり迫力があるものだった。
⑨ ここには地名の由来となった割れた大石があった。今はなくなってしまっていたがその割れた石の間に萩の木が生えてきたらしい。大石のまわりは全て夏の緑がおいしげっていた。その中にある、二つに裂かれた灰色の岩には存在感があった。地域の人はこれを「おわれ石」とよぶらしい。
⑩ ここには山から沸き出た清流を求めて多くの人が立ち寄るという。私も飲んでみたら山の水は冷たく美味しかった。ユキノシタは赤、緑、黄といった様々な色がありつくりに驚いた。