今も残る戦争いせきの観察路 海軍航空隊出水基地の歩み
溝口 志歩
鹿児島県
出水市立西出水小学校
小学校5年生
全体説明
私の住む出水市には、悲しい歴史があります。それは多くの人が特攻隊としてとびたったからです。昭和15年、出水市鹿島地区に海軍航空隊出水基地が開設されました。出水基地は当初搭乗員の初歩訓練を行うことが主な住むでしたが太平洋戦争がおこると実戦部隊が配備され、台わんやフィリピン方面へこうげきし、多くの戦死者がでました。
さらに昭和20年になると陸上ばくげき機「銀河」部隊による特攻作戦や中攻舞台による沖縄方面への攻げき作戦で多くの戦死者が出ました。私のじいちゃんはその当時13才。今から飛び立つ隊員を苦しいとか悲しいとか言う言葉ではなく、何とも言えない気持ちで見送ったことを教えてくれました。今は残された戦争いせきを見るため多くの人が見えます。てっぽうのたまがあたったきずあとやばくだんでこわれとばされたコンクリートのかたまりも特攻ひ公園やえん体ごうで残されています。このおそろしいきず後を多くの人に見てもらって、二度と戦争をくりかえさないでほしいと思ったからこの歩みを知ってもらいたくて観察図をかきました。
観察ポイントごとの説明
①気象観測所。レンガでできています。家のまわりにたかさごゆりがさいていました。
②保育園のところに防空ごうが2つあります。今は駐車場になっています。アサガオの小さな子葉がたくさんありました。アキアカネ、ヒヨドリ、アオスジアゲハがいました。観察していたらヒヨドリがとんできました。
③ボイラー室です。カラスウリがボイラー室の入口のところにからまっていました。ボイラー室の前には、つゆくさがありました。べにしじみちょうアキアカネがとんでいました。観察していたらカラスとスズメがとんでいました。
④-1飛行場です。ここから特攻隊がとびたちました。今はゴルフ場です。いろんなざっ草がありました。カモジグサ、カラムシ、アカメガシワ、ささ、ヒメジョオンです。アカメガミワをさわると、クロヤマアリがたくさんいました。ナガサキアゲハとモンキアゲハがとんでいました。
④-2えんたいごうが2つあります。てきがきたときに飛行機をかくしたところです。もう2つ昔はあったそうですが今はもうありません。戦後は農械具を入れていたと近くにいたおばあちゃんが教えてくれました。ツバメとヤキアカネがいました。えんたいごうは畑の中にあります。1つは草が生えていて、もう1つはコンクリートがむきだしになっていてあながあいています。とっこうひ公園に行くまでに桜並木があってヨコヅナサシガメ、ナミアゲハがいました。カヤツリグサ、コゴメガヤツリ、スズメカタビラ、オヒシバ、エノコログサがはえていました。特攻ひ公園につきました。
⑤入口に衛兵塔があります。このすぐ後に地下ごうがあります。地下ごうの外はてっぽうでうたれた後があって、地下ごうの中は深くて水が少しでていました。この中で受信機を置くためのあながあります。外は桜の木がたくさん植えてあって木にはアブラゼミ、クマゼミ、ジョロウグモ、ヨコツナサシガメがいました。ロゼットの形で暑さから守っているオオバコとタンポポがありました。ひかげのところにトキワハゼ、ドクダミがありました。クロオオアリはいそがしそうに働いていました。